初耳学イエール大学助教成田悠輔さんのインタビューをみて≪後編・大学入試の未来予測≫

ソレイユひゆみブログ

引き続き三日目、イエール大学助教の成田悠輔さんの初耳学インタビューにインスパイアされて考えたこと。本日は、大学入試の未来について私自身の予測です。

 

先生が語られた大学入試の未来については、私の考えはだいぶ違います。先生は、大学入試の公正性や学生の多様性を確保するためにはどうすればよいか、という視点でお考えになったのだと思いますが、私は、大学入試そのものがなくなっていくと思っています。そもそも、大学入試の目的は、その大学で学問を学ぶ能力があるかどうかを測るものです。その上で、それぞれの大学に合う生徒をとるという意味があります。日本の今までの入試制度は、公正を追及するあまり、点数のみで評価することにこだわりました。各大学は、入試の問題を工夫することにより、自分の大学に合う生徒がよりよい点をとれるように仕組みますが、合否には点数以外の一切の事情を考慮せず、純粋に点数のみで合格されるのがよいと考えたわけです。もちろん、そうじゃない入試も一部ではあります。批判を受け入れて日本でもAO入試がはやり、今でも続いていますが、主流とは言えません。でも、テストの点のみで優劣をつけようとしたら、競争は苛酷にならざるを得ません。そうしないと差がつかないからです。その結果、本来必要がないほど難易度が高くなるという現象がおきます。中学受験など、その最たるものだと思います。テストだけで選ぶなら、信じられないくらい難しくならざるを得ません。でも、そこまでの難易度の高い勉強は、果たして小学生に必要でしょうか? 大学入試も、その学習が本当に大学の専門を学ぶ上で必要なのでしょうか? 重箱の隅をつつくような歴史の穴埋め、サイン・コサイン? あの入試をこなした人でなければ、本当に専門課程を学べませんか? 競争のための勉強になっていると思うのです。ある程度の学力は当然必要です。でも、基礎知識と思考力は、ある一定の水準を超えていれば、その先を極めて全員に順位をつけていく必要はなく、もっと別のことに時間を使った方がよいと思うのです。そうはいっても、選ばなければならないとしたら、どうやって選ぶのがいいというのだ、と言われることでしょう。それに対するひとつの答えが、先生のご意見なのだと思います。けれど、私は今後の大学の在り方を考えていったら、選ぶ必要がなくなってくるのではないかと思うのです。歴史的は、学問というのは一握りの人しか手にできないものでした。それが大学が開かれ、庶民でも優秀な子供は学問を手に入れることができるようになりました。それは、素晴らしい進歩です。しかし、それは、大学の教えるキャパシティが限られていたからです。ひとりの教授が教えられるのは、数名のゼミ生だったり、大教室でもせいぜい数百人でした。でも、今はオンラインがあります。もちろん課題は山積みですが、これが機能するとなると、大学の在り方そのものを変えてしまいます。そもそも大学入試をする必要があったのは、大学で学べる人数が限られていたからです。でも、学びたい人が学べることになれば、選抜する必要がないのです。本来、専門知識があるかどうかは、大学入試を突破したかどうかではなく、専門課程の履修度によって測られるべきです。エンジニアとして働くのであれば、どこどこ大学のコンピュータサイエンスでAをとった、このことに意味があるはずです。心配しなくても、全然学力がなかったら専門課程で好成績はとれませんので、差別化できないなんてことはありません。各大学は、ブランド価値を保ちたいと思えば、どう教えるか、どう成績をつけるかを切磋琢磨するでしょう。でも、これは無意味な勉強ではありません。専門そのものなのですから。その分野で優秀なら、その先もその分野で開花する可能性が高いでしょう。海外の有名大学では、実際授業をオンラインで公開しているところも増えてきています。シンプルに論理的に考えると、今後世界はそうなっていくと思うのです。

 

だから、入試に一喜一憂する時代は、思ったより早く終わると思いますよ。私が言ったことは、正しいかもしれないし、正しくないかもしれない。でも、そうなる可能性もある、と考えて、そういう世界になったらどうしたらいいか、備えてみられるといいと思います。もちろん、そうならない可能性もあるので、やっぱり受験勉強頑張る、という考え方もあるので、どうぞ笑